たまに思うのですが、日本文化は時として努力や忍耐を過剰に美化する傾向があって、そのために本来ならば明るく喜ぶべきところでも変に屈折した感情表現をするところがあるのではないでしょうか。

育児でもそんな傾向が見られるよなあ、と最近よく思います。

たまに周囲の話を聞いていると、やれ「こんなことで困った」「かくかくしがじかで大変だった」等々、かなり多くの苦労話とそれを乗り越えたサクセスストーリーが蔓延していることに驚かされます。

そんな苦労をしている人の中には(すみません)周囲の家族や親戚に助けられている人も多いので、ほとんど完全に家内と私だけで育児をやっている我々からすると羨ましい状況の人もいるのですが・・

何故か悲壮感を漂わせなければならないような社会的なプレッシャーがあるのか、それとも苦労していないとマズい何かがあるのかはわかりませんが、どうも解せません。

私は寝不足になるときがあったりで困る以外は、息子が可愛くて楽しくて仕方ない、という感じです。夜泣きは決して楽しくはありませんが、必死に泣いている顔を見ているとあきれて笑ってしまいます。

そんなわけで明るく楽しい育児を心掛けていますが、育児に関して悲壮感が漂う人が多いのもわからなくもないですね。

他の先進国に比べ、育児支援に対する国としての取り組みが遅れ、児童手当の平均所得に対する割合などはアジアでも低ランクにあるらしい日本。少子化になるのもよくわかります。

うちなどは自営ですから創意工夫をすればなんとかなりますが、これでは女性はキャリアを守れないよなあ、と改めて実感。共稼ぎ家庭では、出産とともに確実に収入を減らさなければならないというのが現実。

確かにうちも完全に各自のワンマンプレーで稼いでいるので、1人欠ければ単純に半分の生産性になってしまいますから。つまり収益ダウン前提の子育てであることに変わりありません。

これはこの不況下、そしてますます不透明な先行きの中、決して楽しいリスクではないですし、プレッシャーを感じてしまう旦那さんも多いのではないでしょうか?

文化としてお母さんが家で子供とずっと一緒にいることを美徳とする日本の育児ですが、それを余りにも煽っていると今後ますます少子化も進むよなあ、と感じています。

現実問題として、きちんと自分のキャリアを持っている女性は、それを手放したくないでしょうし、子供を産むことによって収入を大幅に減らして「倹約からのスタート」を望む人は少ないはず。

日本経済の将来について考えても、優秀な女性が育児をしながらでもよりラクに活躍し続けられるような社会にしなければ、確実に国際競争力も国家としての生産性もダウンするはずです。

よく出産後に「社会から取り残された気分になる」という女性が多いと知り合いのお医者様から伺いましたが、それは出産後は家にいて、仕事も辞めて、つきっきりでなければならない、というプレッシャーが知らず知らずのうちに文化の中に刻み込まれているからかもしれません。

リサーチしていないので不明ですが、なぜ少子化が進んでいるのに保育施設も順番待ちだったりして、女性の社会進出にストップをかけるような状況になっているのかがまず不思議ですね。

その一方では育児休暇を推進する政府の政策のウラを考えれば、保育施設や託児所のシステムを拡充したり、その費用のための児童手当等の増額等をするよりコストがかからないことからやっているのかな、と感じたりもします。

もちろん考え方は様々かと思いますが、私は個人的には自分の子供の母親はきちんと社会で活躍し、学び、成長し続けていてもらいたいと考えています。その理由はやはり、子供が一番近く接するのは母親であり、母親が子供に教えられることの質とその幅こそが大きな子供のアセットとなるはずだからです。

来年度に向けて、職場の一部屋を育児部屋にして、託児所ではないですがある程度は育児も可能になるような環境をつくったりしながら、うちの奥さんにも社会との接点を少しずつ戻してもらい、かつ母として今まで以上に活躍してもらおうと考えています。もちろん私もその体制となれば育児の手伝いもより合理的に行えますからね。

私も息子のためにも今まで以上に頑張ります☆

子供ができたことによって色々なものを削減しなければならないことが多い日本社会は変わるべきですが、まずは仕方ないので(いつもですが)自分が変わることから始めようかと思いました。

育児はラクではありませんが、それをプラスに転換し、子供のためにも今まで以上のプラスを家内ともども我々家族のフルポテンシャルを追求しながら「攻める育児」、「攻める仕事」をしたいですね。

子供のためにも、悲壮感漂う育児だけはやめたい。

そう思っています。